今日の大きな考え事

参考にしていただけそうなことを中心に、いろいろ紹介しています。

息ができなくなるほどの喘息でも普通に生活してこれました

 

今回は、私が物心ついた時からつきあっている喘息と、これまでの人生について、ざっくりと書いてみます。その中でトピックスがあれば、改めて詳細を記事にします。

最初に断っておきますが、喘息持ちでも普通に生活してこられました。人生においてディスアドバンテージな部分もありますが、決定的に悲観的なものでは無かったと思います。

 

幼少期の喘息

よく喘息の発作をおこしていました。季節の変わり目はいつもだったと記憶しているので、たぶん年に4回以上、もしかしたら10回くらいだったと思います。

私の発作症状は、気管支収縮により呼吸しづらくなるというもので、咳が止まらないという症状ではありませんでした。

発作のたびに、母親の運転する車で、少し離れた小児科まで行きましたが、不思議なことに病院に行く車内で、ずいぶん呼吸が楽になった記憶があります。

ちょうどその頃、工業地帯での喘息が問題になっていましたが、居住地域も異なり症状も違っていたと思います。セイタカアワダチソウだとかアレルギーだとかいう言葉も、よく聞きましたが、いまだに原因はわからないし、知りません。

病院では、吸入器で気管支を拡張していたようです。家にも吸入器があり、これは発作用ではなく、アレルギー対策の薬品を毎日吸入していたようです。

小学生時代に運動性の喘息発作にも気づく

幼少期ほどではありませんが、年に数回は同様の発作がでていました。

この頃から、運動性の発作も出ることに気付きました。マラソンをすると最初の数分で呼吸が困難になってきます。今考えると死ななくてよかった!と思いますが、呼吸困難のままで無理して運動を続けていると、だんだん気管支が拡張されて普通に呼吸できるようになってきます。

頭痛がするほど酸欠になっていたような気がするのですが、20分ほどで呼吸できるようになっていたため、特に不自由なく運動しており、毎週スイミングスクールにも行っていました。

急な運動を避け始めた中学、高校時代

中学生になっても同じように、季節の」変わり目の喘息発作と、運動性の発作が」続きました。この頃から息苦しい事が、命を脅かすのではないかという考え方をするようになり、急激な運動は避けるようになりました。

ただし軽めの運動はしており、片道15Kmほどの距離にある学校まで、わざわざ自転車で通っていました。通学路の前半はあまり飛ばさず、それでも軽く気管支収縮は起きましたが、後半には呼吸できる状態になっていたので、全力に近い状態で走っていました。

一人暮らしの大学時代に、季節の変わり目の発作が少なくなる

不思議な事に、大学に入り一人暮らしを始めた後、季節の変わり目の発作が減ってきました。「病は気から」ではないですが、もしかしたら同居している親に甘えていたのだろうか?などと考えたこともありましたが、おそらく成人になるあたりで、体質が変わってきたのだと思います。

運動性の発作は変わりなく起きましたが、それなりに運動はしていました。

新社会人から現在まで

就職してからは、季節の発作は全くなくなりました。ただ、普通の「軽い風邪」の症状で、喉の痰が切れにくくなったりします。就職してから行くようになった内科医院は、携帯用の気管支拡張スプレーを処方してくれるので、年に一度か二度の軽い風邪症状の時には、予防的にスプレーを使うこともあります。なんにせよ、若い頃の呼吸困難と言えるまでの症状は、出なくなりました。

また、激しい運動をしなくなった為か、運動性の発作も出なくなっています。マラソンのような運動は久しくしていないので、もしかしたら今やっても発作が出るかもしれません。

でも気管支収縮より先に、体力的な限界の方が早い気もします。

最後にお伝えしたい事

 特に運動性の喘息発作に、ずっと付き合って半世紀近く生きてきました。

思い返すと、死んじゃうんじゃないか?と思えるほど、呼吸困難だったこともありましたが、逆にその事が妙な自信に繋がって、度胸が座っているかもしれません。

この記事を、今喘息で苦しまれている方が読んでいただいて、多少でも参考になったら嬉しいです。

私のように、年を重ねると症状の出方が和らいでくることもあると思いますので、無理せずに喘息と付き合っていきたいです!